2025年日本での興行収入50億を超え、1月に公開し約半年映画館で上映されていた『トワイライト・ウォーリアーズ 決戦!九龍城砦』
私はこの映画を3回観たが(笑)1回目に見た時に私なりに見つけた、この作品に込められたメッセージを二つ話したい。
一つは、この映画は今の香港に何かを問いかけている映画であるということ。
そしてもう一つは、世代交代である。
ネタバレを含むので、この記事を読むタイミングは、読者に委ねる。
■ざっくりとしたあらすじ
舞台は80年代の香港、密航者である《陳洛軍(チャン・ロッグワン)/レイモンド・ラム》は身分証を作るために、金が必要だった。一帯を牛耳っている《大ボス/サモ・ハン》のクラブで、今から始まる喧嘩はどちらが勝つか?という賭けが始まるが、洛軍はその喧嘩に参加している。なかなかの腕前で、洛軍はみごとに喧嘩に勝利する。そんの戦いっぷりに自分の仲間にスカウトしたい大ボスは、自分の仲間にならないか?といって金を渡さない。身分証を作るために金が必要だという洛軍に、身分証を作ってやると約束する。
後日身分証が出来たといって大ボスのもとを訪れる洛軍だが、渡された身分証は偽物だった。怒った洛軍は、大ボスのアジトから「袋」を奪って逃走する。
大ボスの部下たちが洛軍を追いかける中、洛軍は《九龍城塞》に逃げ込む。
城塞の前で立ち止まる大ボスの部下たち。そう《九龍城塞》には、《龍捲風(ロン・ギュンフォン)/ルイス・クー》という別のボスが仕切っているため、大ボスの部下たちは、九龍城塞には入れないのだ。
逃げ込んだ洛軍は、大ボスのもとから盗んだ「袋」の中身が「金」だと思っていたが、「麻薬」だったのである。でもこれを金に換えれば…と考える洛軍は、城塞での売り場を聞き出し、そこへ売りに行く。
売り場へもっていくと、大量に持っていることが逆によくなかったようで、売人たちが騒ぎ出す。その騒ぎを聞きつけた城砦福祉委員会副委員長の《信一(ソンヤッ)/テレンス・ラウ》に追いかけられる洛軍。逃げ込んだ理髪店で、店主を人質に取ろうとするも、その店主こそが、城砦福祉委員会の委員長である《龍捲風》なのである。
この出会いが、この物語のすべての始まりである…。
■重ねられる「想い」は現代香港へのメッセージ?!
《龍捲風》は、無法地帯といわれた「九龍城塞」の城砦福祉委員会の長、いわば風紀委員会委員長である。
ある日、テレビのニュースで取り上げられているのは、香港が中国に変換される前に、九龍城塞が取り壊されるというニュース。城塞の住民たちは、自分たちの行く末を案じているに違いない。どうにか面倒を観てやらねばならない想いの龍捲風。しかし彼は、肺の病に侵されている。城塞の医者役でもある《四仔(セイザイ)/ジャーマン・チョン》に病院に行くように薦められるも首を縦に振らない。自分の行く末と、城塞の行く末を重ね、どうしたらいいものか…と悩むのである。
どうしたらいいのか?と行く末を案じるのは、何も返還前の香港だけではない。今の、「一国二制度」といわれる、香港にも行く末を案じている人々がいる。
龍捲風というキャラクターには、今の香港に向けてのメッセージが託されれているのではないのだろうか?あの無くなった城塞が意味するものは何なのか?ということを。
■「サモ・ハン」って死ぬんだ?!
もう一つのメッセージは、サモ・ハンって死ぬんだと思ったことに始まる。
私の弟は、香港や中国本土のアクション映画が大好きで、スタントマンになってしまったほどである。私が子供のころは、まだテレビが一家に1台の時代。弟がジャッキー・チェンの映画を観ている横で私もなんとなく見ていて、サモハンはヒーローではないけど、ヒーローの横にいていつも助けているイメージだった。
そのサモ・ハンが、反逆を企んだ部下《王九(ウォンガウ)/フィリップ・ン》によって暗殺されてしまうのである。
サモ・ハンが死んだ。役の上であっても死んだのだ。
私にとってはそれが衝撃だった。
香港に限らず、日本でも、俳優という仕事は年齢とともに役柄も変化する。
若かりし頃、ラブストーリーの主人公で「誰もが憧れる彼氏」を演じていた俳優も、やがては「よき父親」を演じるようになり、「老人」を演じるようになるのである。
だから私は考えたのだ、サモ・ハンが死ぬという役を演じるというのはどういう状況なのか?と。香港を代表する俳優であり、プロデューサーであり、映画監督であるサモ・ハンが死ぬ役を演じる。
映画を観るちょっと前に、サモ・ハンの実の息子であるティミー・ハンのインスタで、サモ・ハンが、長年、香港の映画界に貢献してきたことが表彰されたようなことを投稿していた。
御年70歳を過ぎているサモ・ハン、日本の会社員なら定年退職して、悠々自適な暮らしをしてる年齢である。そうか、サモ・ハンが死ぬということは、香港映画の世代交代を表しているんだと。
話が前後するが、龍捲風が自分の運命を悟り、最後の戦いに挑む間際に、子分のようで、弟子のようでもある信一に、城塞の長を託し、城塞の未来を託すシーンがある。
このシーンを観てから、サモ・ハンが死ぬシーンが出てくるのもあって、香港映画界の「世代交代」が見えたような気もしているが、ということは、これは香港映画界に限らず、「一国二制度」といわれている今の香港にいる若者たちへも、これからの香港を託すというメッセージが込められているのではないだろうか?
龍捲風と交わした「想い」はしっかりと四仔の胸に刻まれている。
それが王九と戦った理由なのだ。
この「想い」に託されたメッセージと、それにこたえる四仔の「想い」が素敵すぎて、この後2回この映画を観ることになる。
私は、以前、コンテンツビジネスに関わっていた。試写会などで映画を観る機会も多々あった。お気に入りの映画はDVDを買ったりすることはもちろんあるが、映画館に3回も見に行った作品は、人生でこれが初めてである。